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「この世界の片隅に」はBABYMETALと共通点がいっぱい!これは偶然じゃない。

この記事は、映画「この世界の片隅に」を是非見に行って欲しいから書いてます。なのにこんなお題でふざけてるんじゃないかと思われるかもしれません。しかしどうしてどうして、素晴らしいものってのはこういうもんなんですよ!という共通項がたくさんあるんです。詳しくは今から説明しますが、同じ時代に現れたのは偶然ではないと思います。色んなものが出尽くした感のある時代に出現する圧倒的な何か。コンセプトに還元できない職人の本気。リアルタイムで出会わずにおくのはもったいない!

スペックでは語れない「体験」

ジャンル分け不可能

「『この世界の片隅に』は戦争映画か?」という問いがあります。

私なりの答えは後で書きます。少なくとも言えることは戦闘や被害の悲惨さだけを描いた映画ではありません。ほのぼのシーンや毎日の生活も描いてるから、でもありません。戦争に関しては被害者でもあるし加害者の一端でもある。もちろん生きているともっと色んなことがある。それを丸々詰め込んだような物語です。夫の過去の恋愛関係にヤキモチを焼くというストーリーも原作にはあるのですが、制作費の関係でごっそりカットされました。原作者の河野ふみ代さんは、非日常のワクワク感も描きたかったとすらおっしゃっています。

それに説得力を与えているのが、後で述べる圧倒的な作り込みです。そこでもたらされるのは「カクカクシカジカがこうなって、こういうお話なの」「◯◯映画だよ」では説明しきれない何かです。言葉で表現しきれないのです。圧倒的な説得力がもたらす「体験」なのです。

一方、「BABYMETALはメタルかアイドルか」という問いがあります。

東洋経済という雑誌にBABYMETALが紹介されたことがあって、どーせまた「メタル×アイドルの意外性にジャパン風味も加わって欧米で人気」なんて書くんだろうと思ったら逆で、そういう風にカクカクシカジカという風には分解できない、同じようにして真似をしようと思ってもできない、と「あーなるほどそういうことね」と納得したい中年読者を一刀両断でした。

それを支えているのが、先ほどと同じ圧倒的な作り込みであり、替えのきかない声の力です。

あまり色んなライブに行ったことのない私が言うのもなんですが、BABYMETALのライブはコンサートというより演劇やミュージカルのような「体験」に近いものです。

「◯◯な体験をしたよ」とは言えても、体験のクオリティに達したものは「ああ、こういうことね」というのを一旦脇に置いて体験するしかない。「この世界の片隅に」を見た人も、BABYMETALのファンも同じことを思っていると思います。(すっごく人に勧めるとこもそっくり!)

「毎日ご飯と洗濯どーするんじゃろ?」

「戦争映画」には収まりきらないリアリティを感じた台詞があります。軍港である呉の高台に住むすずさんが、ある日とても大きなものが海に浮かんでいるのを見て「あれは船?」と言うと、夫は「大和じゃ、おかえり言うたってくれ」と答えます。数千人が乗り組んでいることも。それを聞いたすずさんの反応は、

「(そんなに大勢の)毎日ご飯と洗濯どーするんじゃろ」

これが、この映画で一番印象に残っている台詞です。

武器と兵站、さらには軍属と周囲の人々のあり方まで、すべてをさらっとこんな一言で描いた映画ってないような気がします。すごすぎて身震いしました。

そしてあんなことがあった日もこんなことがあった日も、すずさんは炊事もするし洗濯もするし、喜んだり怒ったり気持ちを切り替えたりするんです。生き残りの末裔である我々と同じです。同じか?そんなにちゃんと生きてるか?大切な人を大切にしてるか?

おっと、興奮してしまった。

圧倒的な説得力!食わず嫌いは損!

アニメだからできる・アイドルだからできる

心象風景という言葉があります。心の中に思い浮かべる光景。それは実写版の映画のように隅々まですべてがクリアなものでしょうか?きっと違いますよね。

アニメだからこそ、物語であると同時にすずさんの心象風景たりえています。すずさんの物語であると同時に、すずさんの体験そのものなんです。リアリティを求めるなら実写版でやるべきでしょ?いえいえ、アニメだからできるリアルさというものもあるんです。「この世界の片隅に」を見て実感しました。

BABYMETALもまた、アイドルだからこそ心象風景になり得ています。体験そのものを描けるのです。ガチガチの「私そのものを見せる」ようなミュージシャンじゃないからこそできるんです。山田玲司さんという漫画家は、BABYMETALは浄瑠璃であると言っていますが、そういう意味では賛同できます。(所詮、浄瑠璃でしかない、つまり、おっさんが世紀末戦闘美少女の夢を託して人形を操っているのだ、と言われると話は別です。)

浄瑠璃でしか描けないものがあるように、BABYMETALでしか描けないものがあるのです。

圧倒的なディテールが持つ説得力

心象風景であればボンヤリしたイメージみたいなものか?そんなことはありません。逆説的ですが、体験はもっとリアルなものです。ではどうしたらいいか?必要なだけのディテールを徹底的に作り込みます。

「この世界の片隅に」では船の帰港や空襲の日付はもちろんのこと、その日の天気まで時代考証を行っています。広島や呉にあった街並みも実際にあったものを再現しています。また、動きを生み出すコマの数も通常より増やしているそうです。原作の漫画のコマとアニメは縦横比が違うので、原作にあるカットでもコマの外を新たに描いているのですが、不自然さは全くありません。全て、すずさんにリアルな存在感を与えるという一点のために全てを集中させています。

BABYMETALでは、作詞作曲アレンジは実際にライブで演奏している人とは違う人が作っています。演奏できるかどうか、演奏者のスタイルかどうか気にせず、BABYMETALとして必要なものを盛り込んでいます。そして演奏を引き受ける「神バンド」の皆さんはそれを相当なクオリティで再現する。もちろんBABYMETALの3人も。さらにそれをライブで磨きこんでいく。

BABYMETAL自身が作詞作曲していないことをミュージシャンとしての資格がないという人も多いですが、アイドルかメタルかどころか、もはやミュージシャンかどうかも問題ではないのです。本人たちも含めて、職人が持てるものをフルに発揮することで、ミュージシャンである前にBABYMETALなんだ、ということに存在感を与える。その一点のために全てを集中させています。神様のため、という音楽の原点を見るようでもあります。

先人が積み重ねてきた歴史へのリスペクト

奇をてらわず丁寧に積み上げる。これは先人へのリスペクトでもあります。見たことないことがいっぱい展開されますが、奇想天外なアイデア一発で驚きの新機軸、ではないのです。むしろ今までの先人が積み重ねてきたことの密度を高くしていく。そのプロセスに創意工夫を積み重ねることで新たな境地に達する。それがヒシヒシと伝わって来る。

だから歴史の延長上にあるのに誰も真似できない。

こんなもの作っちゃって、あとどうしたらいいの?

もうね、BABYMETALに関しては、こんなものが作れたらもう音楽やめてもいいわと思えるレベルのものがてんこ盛りですわ。アニメに関してはどうなんだろう?

声の力

「この世界の片隅に」を見た誰もが言うことの一つに、すずさん役の「のん」の声の力があります。恐らく、のんの声が周りの大人たちを「私たちは本物を作ることに関わっている」とますます本気にさせたと思います。

BABYMETALも、どうしてファンになったのかという決定打になったのが、メインボーカルのSUMETALの声の力だったということはよくあります。それがどのくらいかと言うと、アイドルファンがBABYMETALにハマったというレベルではありません。もう一度ヘビィメタルを聴き始めて、何十年ぶりかでCDを買い、コンサートに行き始めたという人がたくさんいます。

両脇の二人、YUIMETALとMOAMETALの声も他に真似ができない声です。か細い子供の声に思わせておいて、実は引き込む力を持っています。

「この世界の片隅に」に話を戻すと、心象風景の中に、人間の息吹というリアルさを吹き込む声の力を感じます。この声があったからこそと感謝します。

両者とも、時期を同じくして声の力を教えてくれました。

自分のこととして受け止められる物語

子供だからできる「戦い」と勇気の物語

子供時代というのは、誰もが通ってきた道だからこそ、誰もに訴えかけてくる力を持っています。

一度は納得していた世界に「戦い」を見つける、という想いは子供時代(あるいは青春時代)に誰もが経験したことがあると思います。「これがうちらの戦いなんじゃ」という言葉は子供だからすんなり心に入ってきます。いい大人が「これが我らの戦いだ」と言ったのでは「そんなの勝手にやってよ」となってしまいます。また、BABYMETALが「何度でも戦い続けよう」「ひとつになろう」というのも子供だから「そう、本当はそうなんだよ」と思えるのであって、いい大人が言ったのでは胡散臭いだけです。

そして両者は子供として不満を言うのではなく、その若さにもかかわらず大人として振舞います。つまり、自分の大切な人たちを肩に背負って「戦い」ます。勇気を持って行動するのです。(BABYMETALに関しては、それはネタでしょ?というツッコミはあるとは思いますが、インタビューなどを読んでいると、彼女たちは本気で勇気を届けようとしているのです。自分たちが必要とし、見つけた勇気を。私達が子供の頃に必要とした勇気を。また、SUMETALこと中元すず香は「ステージでは泣かない」を自分に課しています。)

で、勇気っていうのは大人のものなの?子供のものなの?

ここで我々は言葉を失います。

「これで生きる」と選択した人の物語

先ほどの「大人として振る舞う」にも関連しますが、すずさんもBABYMETALも「これで生きる」という選択をしています。すずさんは「ここで」「生きる」ことを。BABYMETALは「普通のアイドルとしての芸能生活は諦める」ことを。本当にこれで良かったのか?と自問自答しながら。

「この世界の片隅に」にはそんなところに人間としてのリアリティーがあります。単純なメッセージに還元できない「生きる」という一回限りの毎日の連続。

誰かの笑顔の理由になる!人の物語

すずさんは戦争の中で周りの人達を笑顔にしています。真っ当に生活できるように人々を支えています。それがすなわち戦争に加担することでもあるのですが、それもよく見れば分かるようになっています。単なるほのぼのストーリーではありません。

伊集院光さんがお笑いの仲間とする話らしいんですが、戦争になったら俺たちどうする?と。やっぱり俺たちは人を笑わそうとするだろう。戦争反対!とか今は思うけど、やっぱり全力で笑わそうとするだろう。この映画を見てそんなことを思い出したと言っています。

一方のBABYMETALでは、MOAMETALこと菊地もあが、「誰かの笑顔の理由になる」を標榜しています。彼女の笑顔を見れば分かってもらえると思います。「この世界の片隅に」のようなアイロニーはありませんが、彼女の笑顔が永遠であることを望むばかりです。

進行形のドキュメンタリー

こんな風にハッピーエンドでもバッドエンドでもない「この世界の片隅に」を見た後では言葉を失って何も言えなくなってしまいます。最後に分かる答えのようなものはありません。なぜなら、彼女たちは現に生きているからです。最後の審判はないのです。

「で、私はどうする?今。」と思うしかないのです。

そういう意味で「この世界の片隅に」は戦争映画か?という問いに私なりに答えるとすれば、「戦争時代に生きたある人のドキュメンタリーだ」ということになります。

BABYMETALに関してはファン以外の人にはどうでもいいかもしれませんが、アイドルであることをある意味で捨てて、ある意味で保持している彼女たちが今後どうなるのか、現在進行形のドキュメンタリーになっています。これは(必ずしも若い女性タレントという意味ではない)傑出したアイドルの特性です。引き込む力があるのです。

少なくともそれぞれのファンはそう思っています。

追記

広島・すずさん・19歳

「戦い」の中で大人として振る舞う広島のすずさん・19歳。こんな偶然ってありなんですか?BABYMETALファンの皆さんはもう行くしかないでしょ!

動きという「体験」

言葉で表現できない「体験」であるのは「動き」の要素があるからかもしれません。「この世界の片隅に」の丁寧なアニメーション、BABYMETALのダンス。考えてみたい要素ですが、文章が長くなってしまったので今回はこの辺で。